エンジニア大家
webエンジニアをやりながらアパート経営をしております。
先日ファウンダーという映画を見ました。
映画自体は非常に面白かったので是非観てほしいのですが、今回映画の内容レビューではありません。
この映画を観て、ネタバレになりますので多くは語りませんが、戦略(もしくはビジョン)を誤るとボロ負けしてしまうエグい結果となることを悟りました。
たとえ戦術(実務や手先の器用さ)が優秀であっても敗北してしまう怖さは社会に出てから嫌というほど経験しましたが、その話はまた別の機会に記事にしたいと思います。
前置きが長くなりましたが今回の記事では、自分の学生時代のバイト仲間の一人と将来的なビジョンが大きく異なっており、いくら努力しても上手く付き合えなかったことを書きたいと思います。
学生時代に嫌いだった人間について語る
結論
根っ子の部分が異なる人間同士が一緒になるとつぶしあいになってしまうのです(自然の摂理)。
例えば、アメリカとchinaが対立していますが、これは「資本主義」vs「共産主義」の戦いとなります。
もちろんお互いに何かしらの商売をやって稼いだお金で軍備増強を図っているのですが、それはあくまで枝葉の部分であって、根の部分(思想?)は真逆(資本主義vs共産主義)です。
だからこそ力が接近してくると共存しようとせず争い(戦い)になったりします。
もちろん例外はありまして、力に差がある場合はその限りではありません。
例えば中学校の不良生徒が先生にケンカをふっかけて来た場合、先生は「やんちゃで仕方ないなぁ〜」と上からの目線で反応できます。力の差があるからこの対応が可能なわけです。
話はいきなり身近になりますが、私の学生時代の頃の話をしたいと思います。
バイトの同僚のN君
学生時代に私は実家から大学へ通っておりました。
メインのアルバイト先は実家近くのファーストフード店で週4日程勤務してました。
バイト仲間は自分と同じように通いの学生が多く、サークル活動よりもバイトを熱心に頑張っていて、歳も近いので夜な夜な一緒に遊ぶことも多かったです。
その中で一人だけウマが合わない人が居ました。
彼はN君と言います。年齢も学年も私の一つ下で、バイト先も後から入って来ました。
都内有名私立大学に通う学校の勉強ができる人でしたが、何かと私に絡んできたり、ときに私の発言を無視したり、さらにはバイト仲間と遊びに行く際に私を誘わずに残りのメンバーでカラオケに行ったりと、私からしてみれば、まぁ性格悪い奴でという印象を持っています。
彼は僕に対して「無意識的に」ネガティブな感情を持っていたようでした。
当時僕は大学でデザインの授業に全力を出して学んでいて(それ以外の授業は単位を取れる程度のギリギリの努力のみ)、将来はデザイン事務所に就職して経験を積んでから独立して自分の事務所を立ち上げたいと強く思って日々生きていました。
会社に一生属するつもりがなかったのでプライベートな時間は将来のための勉強ばかりしていた、専門職志向な学生でした。
それに反してN君は大学は良い就職先に入るためのツールであり、大学の受講科目はすべてA判定(就活に有利)を目指して勉強をしていたので良い成績を取りつつ、それ以外はなるべく遊ぶ(大学生活は人生のオアシス)みたいな生活をされていました。
大企業に入るためにだけに努力を行い一生会社員として過ごしたい、ゼネラリスト志向な学生でした。
考察
お互い根っこの部分(思想信条?)を比べると「独立・専門性」vs「従属・ゼネラリスト」の違いだったのだと思います。
もちろん自分と同じ「独立・専門性」に属する他のバイト仲間も居ましたが、N君とは仲良くやっていました。おそらくN君からしてライバルにならない程度の小さな存在に映っていたのだろうと思います。なのでN君の思想信条を脅かす程じゃなかったのかと。
それに反して僕に関してN君は心の底から馬鹿にしていた(無理してバカにしていた?)と同時にどこか畏怖の念を持っていたからこそ攻撃対象になったのだと思います。
「なんでわざわざ大学で高い学費払いつつ、デザイン系の課題をこなすため週2,3日は徹夜なんかして苦労までした挙げ句に零細企業(デザイン事務所は規模が小さい)に入ってコキ使われてその後独立してさらにクライアントに奴隷みたいな働きをするのか?」
とここまで具体的に思っていたかは知りませんが^^;
N君はこのような感情を無意識に感じ取り(無意識な見下し)、そして意識的に敵意を出したのだと思います。
それに反して僕は、
「日本の大企業に就職したっていつリストラされるかわからないんだから学生時代のうちに専門性を身につけて一人でも生きていけるような状態にもって行くことが大事だ」
と心の底から思っていました。だからこそ私の方はN君を「無意識的に見下」していて、N君はそれを感じ取ったのだと思います。
20年経って
「僕は就職じゃなくて就社するつもりです。一生会社にしがみついて生きていきます」
とN君が発言したのを耳にした僕は心の底から
「あぁ、こいつは何もわかってない」
と若さゆえにそう思ったのでしたが、あれから20年が経過しました。
僕はとっくにデザイン業からは足を洗っていましたが、業界を変えてWEBエンジニアとして働き独立してフリーランスをやりつつ自分の会社を作って不動産賃貸業を行っています。
多少違った行き先になったけど学生時代に思った「独立して自分で稼ぐ」という部分は成し遂げている最中です。
N君は相変わらず大企業で働いているようです。
ウマが合うわけがない
20年経った今思います。まず自分はかなり特殊な人間だと。
不動産投資をするのもそうだし、そもそも会社をあっさり辞めてフリーランスになることもかなり少数派なのだと思います。
でも人と違うがゆえに稼げているんだと思います。
こんな僕みたいな人間と、一流大学、一流企業に入って社会的ステータスと安定を勝ち取ろうとしていた人間のウマが合うわけがないし、その純粋さ故に当時お互いの存在すらも許せない状態だったのだろうと、今は思います。
ただ残念なことに、当時私は(内心とはうらはらに)表立ってN君を毛嫌いしていたわけはなく、(表面上は)なるべく仲良くしようと思っていました。
でも逆にN君はそうじゃなく、ストレートに私を嫌って来ました。
本音を押し殺して接したとしても、「こいつ実は真逆の事を考えてやがる!」と悟られていたのでしょう。
思想信条が異なる人を前にして本音を隠すことは出来ないのだと今は思います。
旅先での出来事
昨年函館を旅したある日の夜、ひとり居酒屋に入りカウンターで飲んでいたら、サラリーマン風の二人組(50代上司と30代部下)に声をかけられ一緒に飲んだことがあります。
彼らは大企業サラリーマンで出張中だそうで、僕みたいな40代のラフな格好した人間が一人で飲んでるのに興味を持ったようでした。
会話の流れで今自分がやっている事業のことを話しました。
部下の方は目をキラキラさせて話を聞いていましたが、
上司の方の反応は
「そんな博打みたいなことはできないなぁ〜」
とか
「あなただから出来たんだよ!」
とか
「(部下に対して)お前は絶対に道を踏み外さずに仕事しろよ」
という間接的に私が事業をやっていること自体を否定しているようなワードが出てきました。
ひとしきり上司の反応を聞いてみた私の感想ですが、
自分の生き方を否定されているように聞こえてイライラしてしまうのと同時に、
「反応が下手くそだなぁ〜」と思ったわけです。
せめて最初に肯定的なセリフをワンクッション挟んでから言えば良いのに。
やっぱり戦略(この場合だと生き方)が異なる相手と会話すると、自分ができない領域の内容に関してはどうしても否定が入ってしまうものだなと思いました。
相手への配慮がないのは無意識に否定しているようなので仕方ない部分もありますが、圧倒的少数派な私の方が慣れるしかないのでしょう。
まとめ
- ウマが合わない人(戦略が異なる人)と無理に仲良くしても無駄
言いたかった事は上記の一行です。
20年前に悩んだ時期もありましたが、今となってはどうでも良いコトってありますよね。今回もその一つです。
なぜか記事にしておきたかったので書いてしまいました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
参考
戦略的な考えに関しては「戦略の階層」を参考にしてください。
岡田斗司夫さんの動画「正しい上から目線!」を観れば多少なりともイライラしなくなると思いますので、是非御覧ください。